別府市青山町 かつて白蓮が暮らした赤銅(あかがね)御殿(筑豊の炭鉱王伊藤伝右衛門が白蓮のために建てた 5000坪の敷地の中の屋敷、1979年取り壊された。)はどのあたりかと捜していましたら 公園に歌碑を発見、このあたりだったのでしょう。
後に夫となる宮崎龍介をこの地 別府の赤銅御殿に招いたことから 新たな人生が動き始めます。
夏、飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸、室内から庭園の眺め
応接室
白蓮が嫁いでからは 朝食はパンやバターの食事となり 取り揃えるのに苦労があった事など、係りの方の説明を聞きました。(現在は朝ドラの影響で大勢の観光客が押し寄せているとの事です。)
邸宅脇の蔵は白蓮関連の展示室になっています。宮崎龍介との間に生まれた長男香織は学徒出陣の後 戦死しました。展示室の、青年になった 白蓮似の香織の笑顔の写真が今も忘れられません。白蓮はその後、戦争で息子を亡くした母たちの心の支えとなって「悲母の会」の発足に働き、後には「国際悲母の会」という平和運動へ発展となったということです。大分の日帰り旅、以前の旅を振り返ったりして、様々な思いの一日でした。
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